たまに見返す映画2

リービング・ラスベガス。確かアル中と娼婦の恋物語だったか。妻子には逃げられて会社まで首になったアル中の主人公がラスベガスを死地とし肝硬変で死ぬまで酒を飲み続けてやろうと決意し、そこで出会った売春婦と一緒に破滅していく話だったと思う。

多分そんな話だ。たまに思い出しては断片的に見てる映画だ。主人公がスーパーマーケットでノリノリで酒をカゴに入れていくシーン、もはや気持ちいい。何が原因でここまで酒に溺れたかさえあまり明確に描かれていなかったと思うけどそこがよかったと思う。酒をやめる気もない男と孤立しきって拠り所を探していた娼婦との共依存物語。

 

フィッシャーキング。人気ラジオDJが自分の軽口が原因で銃乱射事件を引き起こしてしまいすべてを失う。そのあとなんかチンピラに絡まれたDJがよく分からんホームレスの男に助けられるんだけど、その男、実はそのDJが遠因で引き起こしてしまった銃乱射事件で妻を失った男だったとか。

そのことを知ったラジオDJはなんとか力になろうとするわけで、どーたらこーたらみたいな映画だった。まあ後半はそんなに面白くはなかった。そのホームレスに彼女を作らせてやろうとかで、そんな感じだったはず。多分全てが都合よくハッピーエンドに収束してくようなものが俺には合わなかったんだろうと思う。前半はいいよ。



死の王。自殺する人間たちをオムニバス形式で月曜から日曜まで描く映画。薬を飲んで風呂場で自殺する人、拳銃自殺する人、銃を乱射し自殺する人。なんでもござれ。記憶に残っているシーンの一つは水曜日の話。

雨の中ベンチに座ったずぶ濡れの会社員の男が妻との性生活が上手くいかないことを隣の見知らぬ女に愚痴る。男は残業が続くことがその原因だと語り、あなたと一緒なら私はそれだけで幸せと慰みの言葉をかける妻にさえイラついてしまう。妻と高価なレストランで食事をして映画を見たあとも結局ベッドで上手くいくことはなく彼は抑えていたものを噴き出したかの如く彼女を刺し殺してしまったことを告白。その瞬間隣に座る女が懐から拳銃を彼に突き出すんだけど、彼は構わずその拳銃をつかみ取り自分の口元に運ぶわけです。それが覚えているシーンです。

これ以外にも土曜日の銃を乱射して自殺する女に話もお気に入りです。



 

私は将来統合失調症を発症してしまうかもしれない

私は人の目を見ることができない。私を見たとき相手が何を考えたかということに怯えるからだ。私は他人が私について何か考えたり感じたりするのが耐えられない。ただ一瞬透明の人間になって誰からも認識されず外出したいと思ったりする。

私の脳は正常ではないと思うことがここ2、3年で増えてきた。私は私を見つめた女性と男性、子ども、老人のすべてが私を見下し、馬鹿にしているように感じる。だからと言って突然ナイフで刺したりはしない。私がそうなるときは統合失調症を本格的に発症したときかもしれない。そうなりたくない。

私の隣を人が歩いているとその人より遅く歩くか早く歩く。私はこのような妄想をする。この人が突然私をナイフで刺して来たらどうしようかと。私はグサリと刺されて死ぬ妄想をする。人混みを嫌うのはここで誰かが放火すれば誰も生きのびられないだろうと考え始めるからだ。

猜疑心は際限なく膨らんでいくし、人の善意を正常に受け取ることができないのも私にとって本当に苦痛で疲れてしまった。私は友達を作りたいがなぜ友達を疑ったりするのだろう?なぜ裏切られるだろうと考え始めるのか?私は猜疑性人格障害なのか?

このようなことに対処するために酒を飲み始めてしまった。私は酔うとおおざっぱな態度を取るので普段のようにピリピリするようなことがなくなる。私は酒の奴隷だ。私は酒に所有されている。

イライラするな~~~~~!!!!!!!!!!!!

私は精神疾患をエンタメやファッション、ポップカルチャーとして商品化コンテンツ化しているクリエイターが嫌いだ。

精神疾患を美化して実際の精神疾患者の問題を矮小化していることがイライラする。そしてそのようなコンテンツを消費している精神疾患者にもイライラする。そういう精神疾患者が今度は自分をコンテンツ化して売り出しているのにもイライラする。

私は動物愛護活動家でも菜食主義者でもないのに、動物が屠殺されて食卓へ運ばれることに感謝している人達にイラつく。人間に一方的に自由を奪われて屠殺される家畜に対して「食べて供養するんだ」という考え方がどこかイラつく。

感謝する供養するという考え方は要するに家畜に対して後ろめたさ、罪悪感があるということなんだから、そんな風に思ってるくらいなら最初から食わなければいい訳であって、結果的に家畜の生涯に苦痛を与えているのに感謝しているのがイラつく。

小型犬飼っている人間にイラつく。飼うな馬鹿。

私は自分と接点のない人間が死んだりしているニュースに対していちいち感情的になる、またはその振りをするコメンテーター、アナウンサー、視聴者にイライラする。

被害者の身内であるかのように事件事故を語る人間にもイライラする。私はそういうのを一種の自己愛だと受け取っている。他人に寄り添える自分に酔いしれているだけだ。

子どもを自分の幸せに繋げようとする人間にイラつく。それでいて子供が自分の幸せに繋がらなければ子供にその責任を転嫁しようとするような人間も。

「もし私に子供がいたら遊園地に行っても水族館に行っても楽しかっただろうな」

こういうようなことを言える人間は、子供を一人の人間としてではなく自分の人生を充足させるための一つの道具として考えているからイライラする。

サウナに入って体が整うとか戯言を抜かすような人間にイラつく。ああいう人間は精神論根性論と相性がいいだろうから本当に救いようがないと思う。

メモ

日本の刑務所は受刑者の犯罪傾向、性別、刑期、国籍等によって分けて収容することとなっている。つまり初犯者、再犯者、長期受刑者、短期受刑者などは基本的に区別されそれぞれ対応した刑務所へ収容される。

例えば私がもし何かしらの犯罪を犯し収監される身となれば、おそらく収容分類級でいえばA(犯罪傾向が進んでいない者)、Y(26歳未満の成人 )となるのでYA級となる。重犯罪ならLA級(26歳未満で10年以上の刑期)。おそらく黒羽、市原、横浜、千葉刑務所に収監されることとなる(下記画像参照)。

どの刑務所へ入りたいか希望先を伝えることはできるが基本的に通ることはない。しかし上記のように自分の犯罪傾向と刑期などを当てはめていけばどこの刑務所に収監されるかは大方予想がつくようになっている。

令和3年の無期刑受刑者数は1725人。仮釈放された無期刑受刑者は9人。平成24年から令和3年までの統計では106人。

現在の無期刑は仮釈放審理が行われるまで最低30年の服役が必要となる。本来であれば刑法28条の通り10年経過すれば仮釈放の許可が下りるが、2004年の刑法改正によって有期刑上限が20年から30年へ長期化されたことに影響を受け20年未満での仮釈放がなくなったとされる。

受刑者は50代が多く(410人)、次いで60代が376人。70代は371人。高齢化が進んでおり刑務所が介護施設化、無期刑受刑者が無期刑受刑者を介護するのを「無期無期介護」と皮肉られている。

無期刑受刑者の大半の罪状は強盗致死傷もしくは殺人。

 

・マル特無期通達

以下、マル特無期通達の廃止を求める要請書 NPO法人 監獄人権センターから引用

“マル特無期通達の存在は、2002年1月8日の「朝日新聞」夕刊の報道ではじめて明らかとなった。「朝日新聞」の記事によれば「『マル特』に指定されるのは、動機・結果の悪質性のほか『前科・前歴、動機などから、同様の重大事件を再び起こす可能性が特に高い』などと判断した事件である。具体的には、地検や高検は最高検と協議。指定事件に決まると判決確定直後にまず、刑務所側に『安易に仮釈放を認めるべきではなく、仮釈放申請時は特に慎重に検討してほしい』『(将来)申請する際は、事前に必ず検察官の意見を求めてほしい』と文書で伝え、関連資料を保管する。その後、刑務所や同委員会から仮釈放について意見照会があった際に、こうした経緯や保管資料などを踏まえて地検が意見書を作成する。」とのことである。”

 

無期懲役終身刑とは異なり仮釈放の可能性がある刑ではあるが、マル特無期は仮釈放許可は下りることはほぼなく事実上の終身刑となる。

刑務所内で他害行為または自傷行為をすれば保護室と呼ばれる部屋へ送られる。部屋のつくりは閉鎖病棟保護室と同じ。トイレと布団のみが用意された簡素な部屋であり、自傷行為防止のため壁と床は柔らかい材質に変えられている。トイレを詰まらせないため流すボタンは外側に設置されており、室内は監視カメラで常に記録されている。

以下、刑事被収容者処遇法79条1項2項

刑務官は、被収容者が次の各号のいずれかに該当する場合には、刑事施設の長の命令により、その者を保護室に収容することができる。
 自身を傷つけるおそれがあるとき。
 次のイからハまでのいずれかに該当する場合において、刑事施設の規律及び秩序を維持するため特に必要があるとき。
 刑務官の制止に従わず、大声又は騒音を発するとき。
 他人に危害を加えるおそれがあるとき。
 刑事施設の設備、器具その他の物を損壊し、又は汚損するおそれがあるとき。
 
収容期間は原則72時間だが必要性があれば延長可能。
79条3項によると刑事施設の長は48時間ごとにこれを更新することができる。
 
保護室以外にも静穏室というものもありこれは大声、騒音等を発し生活環境を乱す者の為に設置された。
以下「受刑者の皆さんへ(改訂第1項版)」より引用。
 
“──保護室とは異なり、通常の居室に近い形状で、トイレの水も自分で流せるようになっていますが、テレビ・ラジオ等は設置されていません。
 静穏室は、大声・騒音を出して職員の制止に従わない場合に、収容するため
の居室ですが、保護室への収容のような手続を取る必要はありません。静穏室
への収容対象者は、①大声又は騒音を発する者、②過去に大声又は騒音を発し
たことがあり、現在の動静から、同様の行為を繰り返すおそれが認められる者
のうち、自身を傷つけるおそれや施設の設備、機具を壊したり、汚したりする
おそれが少ない者とされています(「静穏室等への収容について」平成23年
3月7日矯成1256矯正局成人矯正課長等通知)。”
 
保護室に収容されてなお状況が改善されない場合又は精神疾患を患っている受刑者は医療刑務所へと移送され観察室とよばれる部屋に収容される。
保護室との違いは医者がいて部屋一面がガラス張りであるということ
 

絵日記

昔のことを思い出すからあまりベッドの上にいたくない。

不登校になったときの家の情景とか、昔の友達とかが出てくるから嫌なんだよね。

ウイスキーの飲み過ぎで体がだるい。金欠。もっと安いお酒を飲めばよかった。

あはは本当に馬鹿だろ。死んだほうがいい。

本当に早く死にたい。何かを選択するということ自体がもはや苦痛になってしまい、動きたくない。考えることがだるい、学習もできない。頭が悪い、どうしようもない。

 

これはオーバードーズしたときに見えた幻覚をもとに書いた。クローゼットの中に不気味な女が立ってる幻覚、もう一度見たいかもな。あのときに起きた幻覚幻聴は統合失調症無料体験みたいなものだった。とはいえオーバードーズなんてものはそれ以来していないし幻覚が見える薬にも興味は失った。寝つきがよくないので安眠目的でマイスリーはまた飲みたいなとはたまに思う。ああー。働きたくないなあ、餓死しようかな。以上。

雑記

いつだったか、「The Night Porter」という映画を見た。邦題では「愛の嵐」。ナチス親衛隊の将校だった男がかつて強制収容所で弄んだユダヤ人少女とホテルで再会し倒錯的な愛にのめり込んでいくというような内容だったと思う。

この映画は退廃的かつ耽美でどこか好きだったな。まあ内容自体はそこまで面白くないんだけど、ワンシーンワンシーンは記憶に残る。演出がいいからかな。特にユダヤ人少女のルチアが親衛隊の軍帽を被って上半身裸にサスペンダー姿で唄い踊るシーンとか良かったな。

この映画のファッションスタイル、俺はかっこいいなと思いながら見ていたんだけれど、いろいろ調べてたらこのスタイル、ファッション界やポップカルチャーサブカルチャーに大きな影響を与えたって解説する海外の記事を見つけた。その記事によれば多くのパンクロックやファッションデザイナーたちにインスピレーションを与えたとか。あとゲイのSMコミュニティーにも。

俺が思うにファシズムを退廃主義的に描くことは最高の挑発行為と言える。あ、でも俺映画の内容あまり覚えていないんだった。これ以上適当に語るのはやめておいたほうがいいかも。またいつか見直してみよう。

 

ああ寒い。寒すぎる。

 

また最近本の虫になっている。

ベネターの反出生主義の本を読んだあと、功利主義の本を読んだりした。しかし快楽説にしろ欲求充足説にしろ結局のところ何も幸福に至るものはないんだと感じた。消極的功利主義のほうが自分には合っている気がする。消極的功利主義は幸福を倍増させるより苦痛を減らすことを優先する考えだけども、それでもどうも俺には苦痛を減らせる気はしない。やはりこの世界は苦痛と幸福を分かち合いながら生きるほかないらしい。

ショーペンハウアーによると快楽を味わい達成感を得たとしてもその先に待っているのは退屈だけだというし、苦痛から逃れられたとしても新たな苦痛に苛まれるだけなんだと思うと、やはり存在してしまったこと自体が間違いだと言えるんだろう。

しかし俺自身は反出生主義者というより、反存在主義者に近いと思う。反生存主義と言ってもいい。つまりこの世界のあらゆるものは存在しなかったほうがよかったし存在することをやめたほうがいいというような考え方。死亡促進主義とも言えると思う。

 

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。

 

絵が描けない。絵を描いていないという意味ではなく、思うように描けないという意味だ。人に見せることすら恥ずかしい。ずっとこんな感じだ。俺は何も上手くいってない。でも、今年中に作品を作りたい。理想としては漫画とイラストを合わせた作品。頭の中じゃ完成してる。それなのに、ありえない。

 

 

これは死の王という映画のワンシーン。

この映画結構気に入ってる。たまに見返す。こっちはよく覚えてる。でもそれについて語るのはもうだるくなった。そのうち。とにかく気に入っている。こういう暗くて救いのない映画がもっとあってもいいと思う。

 

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